「こころひとつ」 



 昔と今のこの朝日が違うかと問われれば

「判らない」…だ。

この世界を、現在だと認識する。そして今自分の中にあるあの頃は…過去だ。
  この世界で見かける見知った顔は、俺の知っている顔であるにも関わらず、まるで別人だった。
 
刀を振るう者もおらず、この国の中では戦すら起きていない、平和な世。
陳腐かもしれないが、平和な世の中としか言えない。


後方から衣擦れの音がした。金属音。眼鏡をかける音だ。過去のあいつはそんなものしていなかった。

「高杉君、マッパで仁王立ちすんのやめて」

笑みを含んだ声音。優しい声。

そんな声で過去自分と話した事があったか思い出してみる。
昨日の事のように思い出せる事もあれば、霞みのかかった記憶もある。

「ほとんど寝てねんだろ、寝ろ」

自分の声は掠れていた。
夜中から早朝まで声を出し続けていたからだ。途中何度か落ちたし、記憶が曖昧で何を喋ったかはわからない。

この世界では淫行条例というのがある。自分は今未成年で、奴は成人などとっくの昔にむかえた大人だ。
法律でセックスするなと言われているのだ。
奇妙な感覚はある。10以上も奴の方が年が上なんて。



朝焼けは夕日とは違う色だった。
昔はよく見たが、この世界では滅多に見なくなっていた。
こんな朝早くに起きた事などなかったから。

過去の世界で見た色と違う気がして懐かしさはないのに、何故か少し寂しくなった。

振り向いてベッドの方を見ると、銀八がじっと自分を見ている事に気が付いた。

目に熱はない。

爬虫類か魚類を思わせた。さっきの優しい声は気のせいかもしれない。

「何」

見つめ返してやる。

「いや、身体小さいなぁと思って、ちゃんとメシ食ってんの?」

「まだ十代だからな、淫行教師」

「アイタタタタ…、皆にはナイショにしといて」

銀八が再び眼鏡を外し、枕に顔をこすりつけながら言う。
そう言いながらも少し楽しそうに見える。

銀八は枕から顔を上げず、手招きする。
それに大人しく従う。

ひらひらと動き続ける銀八の指先を掴む。

脱力した銀八の指は暖かい。裸で暫く立っていた自分は指先まですっかり冷えていた。
春とはいえ、まだ朝晩冷え込む。そう言えばまだ桜の開花宣言のニュースも見ていない。

「も一回、布団入って」

銀八に言われるまま、無言でまた銀八の隣にもぐりこむ。
銀八も全裸で、足が絡むとスネ毛があたるし、顔は無精ひげがお互い生えているからあたると少し痛い。

体臭も男臭い。普通だったら嫌で仕方ないんだろうなと思いながらも、抱き締めてくる銀八の背中に腕を回す。

銀八の吐息が肩口にかかってくすぐったい。
この行為はなんだろう。甘えているのか、それとも子供の身体に庇護欲でも掻き立てられているのか。

昔と変わらない、癖の強い銀の髪をいじる。


コイツが判らない。昔以上に。
そもそも、コイツは。


覚えているのか?


今まで、見知った顔のヤツと会話する事は多々あったが、覚えている素振りのヤツは一人もいなかった。

自分だけが、取り残された世界。たった一人の孤独な世界。

それこそ陳腐な言い回しじゃないか。

だから止めようと思った。考えるのは止めよう。

この世界では、コイツは泣かない。一人で泣く事はない。

本当はこんなに近付くつもりは無かったし、自分が近付いた事でまた同じような事が繰り返されるのではないかという懸念もあった。

だから。

これっきりで。

全ての記憶はこの中に。






 息遣いはいつかスースーと寝息に変わった。

人の頭を弄ってるうちに自分が気持ちよくなって寝てしまったんだろう。
暫く 甘酸っぱいような汗の匂いを嗅いだ。少年、子供の体臭。
高校生ってこんなに幼かったっけ?と自分が同じ年頃だった時の事を思い出す。


この世界の十年前の事を思い出してみる。


もうよく覚えていないが、自分は施設で育った。施設の園長が松陽だった。
いや、あれはきっと松陽に似た別人なんだろう。

こんなオカルトめいた言葉を口にしたくはないけれど、転生前の記憶があるようには感じなかった。

松陽の顔を見た途端、次々と昔の記憶が湧いてきて、頭を抱えた。
自分は愈々おかしくなったのだと。

自分以外に覚えている者がいないと感じたせいもあった。
知っている顔なのに、皆どこか違う。

誰も。

記憶がない。

自分の頭はどんどんおかしくなって、今ではこの世界の十年前より、転生前の記憶の方が鮮明な時もある。

何故、自分からも記憶をうばってくれなかったのか。



今の世になってから痛感するのは価値観の違いだ。

昔はもっと死は身近だった。 戦争で何人も斬ったが、仲間を失ったり危険にさらした事は後悔しても、戦で人を殺す事を後悔はしない。

自らの命をかける事さえ。

自分はこの世界にいてはいけない存在となってしまう。

この世界の人間ではない。

若い頃はそんな風に思っていた。


たった一人。


この世界に一人。


一人に慣れ始めた頃、コイツが目の前に現れた。

高校受験の日。

ウチの学校の園芸部の温室前で奴はボーっと突っ立っていた。
見覚え所か、実は一番気になってたヤツが突然目の前に現れた事に、戸惑った。しかも、中学生。

「なにしてんの?」

銜え煙草のままで近付くと、奴はこちらを向き、瞠目した…ように見えた。
色が薄い唇が何か言いたげに動いたが、またハウスの方に向き直る。

「…アンタ何、科学の先生か何か?」

「現国だけど」

「なんで白衣なんだよ…」

なんだか懐かしい。こんなやりとりが昔あったような気がする。

「何が可笑しい?」

ギロリとこっちをにらむ。懐しい顔の輪郭、黒髪。キリっと上がり気味の眉。鼻と口の形。射るような目。片目は眼帯をしている。
以前と殆ど変わらない高杉がそこに立っていた。


あれから1年経つ。
高杉に昔の記憶があるかどうかは判らなかった。

記憶があるか確かめるためとは言え、こんな事にまでなってしまった。
付き合いを深くすれば、記憶があれば打ち明けてくれるだろうし、ベッドの中では口も軽くなるのではと履んだのだ。

教師とは思えない行動に至ってしまったのは弁解の余地もない。

こんな手段を取る必要はない。
高杉に記憶があろうがなかろうがどちらでもいい筈なのに。

今までだって、誰と出会ってもここまで記憶があるかないかなんて頓着しなかったくせに。


それに結局昨夜は何も判らなかった。

ちゃんと事前準備はしたしゴムも使ったけれど、少し酷くしたせいで怒っていたが、いつものこの世界の高杉だった。


目の前の高杉の、憎らしい程黒くサラリとした髪を掻き分ける。眼帯はしていないので、開かない左目が露わになる。
目の事にはふれていない。ふれれば少しは反応が判りやすくなるんだろうか。

左目に口付ける。

高杉は動かない。

今度はベロリと舐める。流石に高杉の眉間に皺が寄る。
「…やめ……」


一瞬、「銀時」と言ったような気がしたが、気のせいだろう。
考えてみればそんなに都合よく思い通りになった事なんてあまりない。
今回高杉をアパートに連れ込めた事くらいじゃないだろうか。


高杉の左目を味わう。

もし「銀時」が空耳でなければ、どうしてやろうかと考える。


この広い世界にたった二人。


想像しただけでもふるえる話だろう。




 【終わり】

ヒトコト

タイトルは「こころひとつ」という古語と、MISIAさんの歌「心ひとつ」から。

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